劉老根大舞台

長春の上海路にあった東北地方特有の寄席だ。

2005年から4年間長春生活をした。

その劇場は長春市内に数軒あったが、俺は二道区の龍達ホテルの地下の寄席に通った。

二人転という東北地方の漫才を男女二人でやるのだが、言葉も少しわかって面白かった。安い席は10元、日本円で150円、俺はその上の席20元で毎日のように通った。

その時思い出していたのは、台北遊学時代に通った国軍文芸中心という京劇院。

そこは40元、日本円320円だったが、学生票は20元160円の入場料だった。

毎夜、11時前までアイスクリームを食べながら、わからない京劇を見続けた。

26歳の時だ。長春で通った時は56歳だった。ここでもアイスクリームを食べながらの毎夜の鑑賞だった。

そして今、俺は録画した「CCTC中国文芸」に追われている。

録画容量が足らないのだ、たまたまその番組をセットしているデッキは、ダビングができない。

それで無理をしても見なければ、次が録画できない。

今日も録画容量がほとんどなくなっていたので、今、その中国文芸をぶっ通しで見てい。

それでタイトルを劉老根大舞台とした。

満州地方、今の中国東北地方の寄席芸人のトップ趙本山もそこで見ることができた。

理解してもわからなくても65インチテレビ画面にに映して見ている。

数時間見たあとは、沖縄芸能も1時間見なければならない。

何を習得するわけでもないが、食欲と同じような、視欲、聴欲があるのだろう。

日本のタレントを見ればだれだれとわかるように、中国語圏の芸能人を見て、

誰彼とわかるようになりたい。沖縄芸能人も昨夜は30年前のラジオ番組を聞いたので、沖縄芝居の名優たちの声も聴いた。

今、日本で何が起こっているのか?そのために小型テレビでニュースを音声無しで着けっぱなしにしている。

アミュー駐車場

自分でここの駐車場に駐車したのは、

今日が初めてだった。

昨日、駐車場を下見した。

今朝は駐車場への案内の動画でシミュレーションしての、

行動だった。

9時前に駐車した。

営業は10時からなので、どうにかスムーズに駐車ができた。

しかしそここら外に出る方法がわからないのだ。

外が見えたので、すぐ外に出ると、

俺がいつも駅待合室で読書をしていた場所だった。

そして9時からプールで泳いだ。

ジムで受付で駐車場の支払い方法を訊くと、

ここの受付で払えるというので110円払った。

そして駐車場に行ったが車の出口がわからず、

屋上まで行って、人に訊いて、来た道を逆走?して、

外に出ることができた。

初体験、いろいろな初体験を思い出しながら、

ホテルへ向かった。

サンロイヤルホテル駐車場はほとんど満車、

コロナ禍で一番の人出だった。

今日もアイスクリーム、を食べた。

迫田タンスに寄り、妻が欲しいと言っていたベッドを購入した。

帰りの運転は眠かった。

そこまで言って委員会を見ながらうとうとした。

上野千鶴子 社会学者

1948年7月12日生

「説得の達人」角川誕生日事典

『最後の講義』 5月4日放送

村山斉 物理学者 5月5日放送

今日は8時に出る。

その前に選んだのが、この番組。

村山斉さんの講義は朝起きて寝ぼけ眼で聞いていた。

上野千鶴子さんは同じ世代、マスコミでも発言していた上野先生の話は、

よく聞いていたような気がする。

今朝は突然プール行きを車で行くことに決めた。

アミュー駐車場の入場方法をネットで検索した。

おかげさまで27年目

民謡で今日拝なびら 平成元年6月9日放送

沖縄芸能界の有名人が続々登場

MCは北島角子・八木政男・上原直彦さん

出演者がすごい、テルリン照屋林助さんも出演

沖縄芝居の名優たちも出演 大宜見小太郎さん、森田とよかずさん、

山里勇吉さんの♪夏花 吉田妙子さんも出演。芝居の女優北島角子さんが、

あちこちの沖縄方言で語っている。

俺が北島角子さんの沖縄芝居を追っかけたのは復帰前だった。

昭和45年から沖縄に興味を持ち始めたので、

このラジオ番組平成元年には、沖縄民謡も少しは知っていた。

沖縄舞踊も踊れる時代だった。

今日もサンロイヤルホテルでランチバイキングを食べたが、

40年前ここでの結婚式に招待され、舞台で沖縄舞踊を踊ったことを思い出した。

ミンサーの日 5月4日

民謡で今日拝なびら 

MCは前川守賢さんとよなは徹さん。

開口一番、八重山では今日はミンサーの日だと紹介。

八重山の特産品ミンサー帯。

1970年12月八重山に行った時にミンサー帯の由来を教えてもらった。

「いつよ、いつよまでも」と、いつよだから5月4日。

1曲目は♪幸せ列島、曲目リストには、

2曲目♪ねーとぅ小 3曲目♪仲直り三良小、4曲目♪むちちちゃ小

5曲目♪海ぬチンボーラ小、6曲目は♪男でーびる、生歌で前川守賢さんが歌う。

7曲目は♪緑の沖縄

5月4日はよっかの日だと思った。

沖縄のはヨットレース、は龍船競争

1971年、俺は糸満にこのヨットレースを見に行ったことを思い出す。

長崎でべーろんというのか?

今日も食後、30分歩いてプールへ行った。

歩くのが辛くなった。

明日から歩きをやめようかと思っている。

水中歩行だけにしようかと。

鹿児島中央駅アミューの駐車場を確認に行った。

明日からは車で行こうかと思うが、

まだ決心はしていない。

生涯歩き続けようと思って、定年後は歩きまくったが、

ここに来て歩くことが苦痛になった。

歩きを止めれば、俺の旅の夢は終わる。

那覇国際通りを歩きたかった。

1971年には那覇から糸満まで歩いたこともあった。

台北も歩きたかった。台北駅から龍山寺まで歩いた。

北京では天安門から地安門を突き抜けて歩いた。

上海ではガーデンブリッジから旧日本人街のホンキューまで歩いた。

シンガポールも歩いた。

香港も歩いた。武漢も、蘇州、杭州も歩いた。

ハルピン、奉天長春も歩いた。

そのすべてが過去のことになる寂しさ、明日は歩きを止めるのか。

今日は夜8時過ぎてから、沖縄ラジオだが、それまでは、

中国CCTV放送の中国文芸を見ていた。

台湾の蔡琴が中国の春節晩会に出演した時の映像も見た。

台湾は中国になるのか、どうなるのか。

中国大陸の需要を台湾人は知ってしまった。

それを振り切って台湾に固執するのか。

今の俺にはぜんぜんわからない。

ふと沖縄復帰前の沖縄独立党の選挙演説を思い出している。

さきほど見た「明治大正昭和」の映像に戦前の台湾や満州の映像があった。

高砂族の人たちが、日本人の指導で踊りの練習をして発表していたが、

日本人警察官だっただろうか、その指導の時の一瞬の態度に驚いた。

どんなこよをしたのか、ここに書き込まないが、

山里ゆきさんが歌う♪ムチちちゃー小、音は出ない。

山里ゆきさんは嘉手苅林昌さんとのデュエットでよく聞いていた。

♪十九の春も二人の唄でも聞いたことがあった。