日本精神の柔道

柔道に日本精神というのはあるのだろうか

そんな思いで昨日の柔道の試合を見た。

俺も柔道をしていた。

昨日見た柔道の試合の駆け引き、俺には無理だ。

俺は3つの得意技を持っていた。

内また、大内刈り、大外刈り。

俺の柔道はいつその技をかけるかだけだった。

鹿児島県大会ではどうにか通用した。

大学時代、大学で国体選手達と練習した時は、俺の柔道は通用しなかった。

今、テレビ画面に「サンデーモーニング」、白鵬照ノ富士戦が映された。

おれは今、この試合のことを想い浮かべながら、ここに文章を書き込んでいたのだ。

日本精神をもし柔道で遠し続ければ、国際化された柔道はなかっただろうと。

白鵬照ノ富士、に日本精神を押し付けると、白鵬照ノ富士に永遠に歯が立たない力士になっていくのではと。白鵬照ノ富士、彼等はオリンピックの柔道の試合としてみると、普通のことなのである。

俺は日本式柔道にこだわった、いや日本式?柔道しかできなかった。

だから柔道をやめた。オリンピックを見ながら、国際化とは何か。

考えさせられている。

外国人に日本語を教える仕事を長くやっていた。

一番難しかったことは、日本語を教えることに関わらない職員たちの、

「日本人と同じ教育をしてください」ということだった。

外国人に厳しく注意始動してくれと、頻繁にいわれると、

「自分で直接言ってみないですか」と言ったり、言いたかったりしたことがあった。

日本精神、俺が自分に課していることは「人間としてどうなのだ」ということだけだ。

旅をしたい

この暑い日々、

我が家で65インチのテレビを見る生活。

食卓に座ってのパソコン、

庭はその右側にある、窓が大きいので、一面の庭が丸見え。

樹木に覆われている。

だからだろう涼しいのだ。

突然やわらちゃん登場、谷亮子さんが「サンデーモーニング」初出演とのこと。

昨日渡名喜風南の試合を見ながら、やわらちゃんの柔道の切れ味を想いうかべていた。

柔道の切れ味、今日出場する阿部兄妹は切れ味があるのだ。

そして素根朗、彼女たちが18歳の時の金鷲旗の決勝戦をテレビで見た。

あの時の感動を思い出しながら。

23年前にはその金鷲旗大会を福岡まで直接見に行った。

知っている人が出場して、優勝した試合を。

1966年、55年前には俺もその大会に出場した。

タイトルは旅をしたい。

相変わらず俺の文章は起承転結がない。

旅をしたい、今旅をしたいという意味ではないのだが、

俺は庭の緑を眺めながらテレビを見ているそのことが、

旅だと言いたかっただけ。

世界の情熱

サンデーモーニング関口宏さんが、

「世界中からこんなに集まるとは思わなかった」と。

俺も驚いた、参加拒否が相当ある思ってといた。

そして始まったばかりの試合で闘う外国の選手、日本の選手。

もしやめていたら、それこそ罪が深かったのではとも。

コロナ下でも世界のバイタリティーは凄い、

オリンピックが我々に印象を残すこともいろいろあるだろう。

俺もオリンピックが始まってから、身体の中から沸々何かが起こってきているような気がしてきた。

駱駝祥子 竹中伸訳

この派の哥兄連の念願は大体二つあり、一つはお抱え車夫になることであり、もう一つは自分で俥を買って、自分の俥 俥宿からの借り物でない を持つことである。そして、自分の俥を手に入れて、いわゆる自動車夫になることができたら、もうお抱え車夫になろうと、辻俥をひこうと、どちらでもかまわないのだ。どうせ俥は自分のものだから。