那覇有情

「留さんのニッポン焼き物紀行 沖縄・壺屋焼き」

火に焼ける首里城で福留さんの旅が始まっている

2016年放送の番組だ

国際通りから、市場本通りを歩く

俺が沖縄放浪をしたのも、復帰前の

1970年1月だった

出発の時、東京晴海埠頭は、ちらちら雪が降っていた

東京丸、二泊三日の船旅だった

旅行ガイドも見なかった初の船旅

この20年は、那覇に行っていないが、

市場本通りを歩く福留さん

画面から見る限りは、

あの頃の那覇の姿が思い浮かべられる光景だ

71年、俺は大学を卒業した

わずか1年の沖縄体験旅ではあったが

卒業論文は、

「琉歌にあらわれた沖縄女性の生活とこころ」

論文指導は南京事件研究の第一人者

洞富雄先生だった

70年末には、史料集めの旅をした

竹富島まで行った

71年には卒業して、沖縄進出

結果的には、沖縄放浪旅だっような気がする

沖縄民謡・沖縄舞踊に夢中になった

沖縄タイムスホールで見た

琉球大学八重山民謡研究会の

歌と踊りの素晴らしかったこと

49年たった今でもあの時の興奮した胸の高鳴り

福留さん壺屋焼き工房を見学している

名陶芸家 金城次郎さんにもお逢いした

沖縄三味線の工芸家、ぱっと名前を度忘れしたが

照屋さんだったか

そこで3万円で三味線を買ったことも思い出している

沖縄民謡の名人たちの歌は、生でたくさん見た聞いた

嘉手刈林昌さんの歌に聞きほれて、

「西武門節」「国頭ジントヨー」は

俺の十八番だ

鹿児島の文化センターで沖縄舞踊

「上り口説」を踊ったこともあった

テレビ画面はまだ続いている