沖縄慰霊の日 6月23日

JNN九州ドキュメントムーブ

「情熱の赤瓦~画家大嶺政弘寛の戦後へ~」

を見ながら。

慰霊の日に、何か沖縄に関係の番組を見ながら、

ここに書き込みたかった。

そしてこの番組を選んだ。

2016年2月14日放送。

ふと、この画家に逢ったのではと思った。

沖縄タイムス文化事業局に画家の記者がいた。

俺を首里の紅型工房に連れて行った人だ。

この人と沖縄の有名な画家にあったような気がする。

大嶺政寛さんは沖縄戦当時、ひめゆり学徒隊の教師だったと

テレビで紹介。

糸満で捕虜になり、引率する予定だった教え子たちが亡くなったことを

知って、そのことが彼の生涯の苦しみになり、教師を辞めた。

1971年6月23日 俺は沖縄摩文仁にいた。

沖縄タイムスの仕事でそこにいたのだった。

文化事業局の出版物臨時販売店をその摩文仁に造った。

その書籍の販売をしたのだ。

「鉄の暴風」という沖縄戦の様子を書いた本などを売った。

観光客のあまりいなかた摩文仁だった。

訪れてくる人は沖縄地元のひと。

そこで突然思い出した。

私を紅型工房や画家のところに案内してくれた記者の名前を。

石原さんだった。

沖縄の人たちに大声で本を販売していた。

参拝にきていた沖縄の人たちは、

「我々は本は読まなくても、沖縄戦は知っているのだ」と。

今日は日本航空に問い合わせた。

鹿児島から沖縄にマイレージで行けないかと?

鹿児島からの直接便はないので、2回分のポイントが必要だと。

福岡からはあるとのこと。

8月いっぱいで期限切れが生じるとのこと。

中国東方航空にも問い合わせた。

鹿児島からの上海便はまだ出発再開は未定と。

さて鹿児島福岡バス、そこから那覇に行くか。

鹿児島~東京~大連に行くか、東京~広州になるのか?

鹿児島東京台北になるのか。

テレビでは政寛画伯の赤瓦は、

「沖縄を忘れるなとの思い」

いったい俺はどこへの旅を選ぶのだろうか?

このあと沖縄関係のレコードを聴こうか。

「沖縄はどこへ行くのか」沖縄復帰の頃のレコードだ。