引揚者

金原亭馬生の「花筏」という落語を聞きながら、

二度寝をした。

夢を見た。引揚者と出会った夢だった。

昔住んでいた鹿児島市高見馬場

近所に住んでいた友人のお父さんだった。

むかしのままの姿で仕事をしておられた。

そのおじさんに再会して俺は小躍りしていた。

満州引揚、おじさんがいたと夢の中で。

おじさんにいろいろ満州の話を聞いた。

おじさんの仕事も手伝った。

薪や米の配達、リヤカーで運んでいた。、少年時代、友人が親の手伝いをしていたその仕事だ。

そこには友人を含めて5人の子供さんとお母さんがいたはずだが、

夢ではおとうさんが一人で仕事をしていた。

目が覚めた。

そして思い出したのは、俺が生れてはじめて会った

満州引揚者がこの家族だったと。

おばさんを思い出した。

朝鮮漬けを食べさせてくれた。ニンニクもあった。

俺の家ではニンニクというものはなかった。

そこで餃子に入っていたのであろうか、

ニンニクとは印肉だと思っていた。

ここでは印肉を食べるのだろうか、あの赤い朱肉が食えるのだろうか。と。

その義徳君のおとうさんを思い出した朝になった。

小学4年生の時、山下小学校の城山登山マラソンで、

義徳君が1位になった。当時一番遊んでいた彼の優勝。

嫉妬、妬みがあった自分を当時恥じていたことも思い出す。

義徳君は早くになくなった。

長男さんは稲盛和夫さん鹿大で同級生だった。