田中角栄邸のとなり、
椿山荘だった。
ハウスクリーニングの仕事で通ったのは。
掃除の仕事は好きではなかった。
掃除が一番下手なのだ。
神田川沿いを歩いて、椿山荘へ行った。
戸塚町、面影橋のアパートに一緒に住んでいた秀輝君と。
関口芭蕉庵というのがあった。
なぜここに芭蕉庵と思いながら、川沿いを歩いた。
俺の卒論は「沖縄女性史」だったが、
志ん生も考えた。
東京に行った当初は、都電代を惜しんで、江戸川橋まで歩いていた。
椿山荘に人を御馳走した。
金はなかったのに、カード生活が無理なやりくりに。
マイレージを稼ぐためにの辛坊だったが、
期限が切れるという悲しい努力の末路もみえる
今日この頃だ。