ずっと気になっていたホテルだ。
戦前の大連に関係ある本を読むと、かならず遼東ホテルがあった。
何が気になったか、俺が初めて大連に行ったときに泊まった、
大連飯店、あれが遼東ホテルではなかったかという疑問。
昨日大連引揚の奥さんが、大連の本を見せてくださった。
その本にはっきり書いてあった。
現大連飯店は戦前の遼東ホテルだと。
俺は謎がはっきり解けてうれしかった。
今、検索するとそのホテルが出てきた。
戦前大連市浪速町3丁目、今は天津街、上海路と。
思い出した、ホテルのどこかに元遼東ホテルだったと書いてあったことを。
戦前浪速町は大連の繁華街だったそうだ。
俺は偶然にもそのホテルが大連デビューだった。
その後、そのホテルは閉館したのでは、
俺は2回宿泊して、その後は予約が取れなかったような記憶がある。
現在の天津街、今もにぎやかだ。
数回の大連旅でその天津街を歩いた。
日本の影を見ようとして。
毎日、微かな点を求めている。
人間でも知識でもだ。
それが線になったとき、嬉しい。
ふと大連と五木寛之、なにか接点はなかったのか、気になった。
彼はピョンアンにいたのだ。