樺太引揚、台北引揚

今日もプールで泳いだ。

俺が一人で泳いでいるレーンに、

顔見知りの奥さんが入って泳がれた。

クロールでスイスイ。

ジャグジーで話しかけた。

「学生時代に水泳をされたのですか?」と。

なぜ訊いたか?ひょっとしたら母校の関係者ではないかと思ったのだ。

母校は昭和38年に創立された新設高校だったが、

戦前の前身は女学校だった。

唯一構内プールのある学校で、中庭がプールになっていた。

高校生だったころ先輩たちに会う機会があった。

皆、プールの話をされた。

それで俺はそのプールで泳がれたのではないかと思って訊いた。

ところがその人が語るには樺太からの引揚者だった。

驚いた。

俺はこのプールに来ている年配の人たちに引揚者はいないかと、

気になっていたのだ。

初めて話をしたのだが、俺の興味が話を盛り上げた。

明日からのプールでの語りに楽しみを持ちながら、

プールを上がり、風呂に入った。

風呂を上がって着替えの時に、顔見知りの男の人に、

話しかけた。

「鹿児島空襲を知っていますか」と。

するとこの人が「台湾からの引揚だから、鹿児島空襲は知らない」と。

驚いた、樺太引揚、台北引揚の二人に会うことができたのだ。

今日はこのことを考えながらのプール後の生活。

そしてのサンロイヤルホテルでのランチバイキング。

そこでそれ以上の驚きが高校時代の恩師との出会い。