彼の運転で車に乗っていた。
東京の次男さんも乗っていた。
どこに行こうとしていたのだろうか?
遠いところではなく、近くまでついでに乗っているようだった。
途中で俺だけ降りた、彼の事務所?実家?に行った。
おじいさんたちが数人いた。
どちらが博昭君のお父さんですかと訊くと、
「私だよ」とおじいさんが、
俺は会っていなかったのか?と夢ので疑問。
また彼の車に乗って、
お父さんが生きていたことは知らなかったと彼に言う。
台湾で兵隊だったことは彼から聞いていた。
途中に彼の奥さんが副業をしている洋裁屋があった。
車から中をのぞいたが奥さんはいなかった。
俺はすでにランチバイキングを食べていた。
食事をしていなかったら、彼らにご馳走をするのに、
などと考えながら車に乗っていた。
高見馬場だったのか柿本寺だったのか、
交差点に秀志君が立っていた。
最近秀志君とは語っていなかった。
「中国有情」を見ているかと訊くと、
見ているとこたえた。
前より文章がうまくなっただろうと言うと。
秀志君は苦笑い、博昭君もまあねえと相槌。
目が覚めたときは、いつになく6時になっていた。
「人間には自然が必要だが 自然には人間は必要ない」
が流れていた。
博昭君も次男さんも、秀志君もともに中国の旅をしたことまで
思い出した。