♪悲歌に耳かす人もなく
沈み濁れる末の世に
燦爛の夢よそにして
疾風迅雨に色さびし
古城の風に嘯ける
健児七百意気高し
俊一先生は第七高等学校を卒業された。
高校1年の時の担任だったが、2年の時は、
一学年下のトップクラスの担任をされた。
一年生、二年生で霧島キャンプがあった。
そのキャンプファイヤーの時に、そのクラスの生徒たちが、
俊一先生と七高寮歌を歌った。
高校2年の俺は負けたと思った。
55年前のことだ。
しかし俺たちのクラスは、俺が作詞した歌を歌った。
曲は第三高等学校♪紅萌ゆるの替え歌。
俺が人の前で歌う自信ができた。
俺のでしゃばりデビューだった。
俺が京都大学にひそかに行きたい思いがあったとは、
同級生の誰も知らないだろう。
♪紅萌ゆるを歌いたいために、
その高校生の時から25年後、
俺は京都で京大生OBたちとこの歌を歌った。
京都の有名ホテル、都ホテルだった。
一時そのホテルの株主にもなった。