曹操の死

西暦220年3月15日曹操は死んだ

名医華陀が曹操の能の手術をすることをすすめると

自分を殺すつもりかと疑い

殺す。

華陀こそが関羽の矢傷を治した名医だと、部下が説明するも聞かず。

その華陀が関羽を治療する銅像荊州の病院に訪ねたのは数年前だった。

今年の年賀状はその写真賀状だった。

なぜかその賀状には撮影してくれた妻の弟も映っていた。

今年義弟は亡くなった。

その賀状に映る義弟の写真、華侘のような医者がいたら、

奇しくも関羽・華侘・義弟・我が夫婦、最後の写真になった。

人形劇三国志曹操の死を見終えた。