ひろ子さんが亡くなった

ことを惜しんで彼から電話があった。

俺は1月4日の高校1年同期会で、彼女が危篤だということ知った。

東京同期会の女性幹事を何十年も続けていた人だ。

今年の東京同期会が中止になったことの葉書を先日受け取った。

彼もそれを見て彼女の死んだことを悲しんだのだろう。

友人たちと友人の死を語ることはあまりない。

そんな中での彼からの電話、それが彼女への供養になるだろう。

彼も何度か東京同期会に参加した。

俺も数回参加した。

その同期会を俺はビデオで写し続けていた。

同期会に参加した人たちにはそのDVDをプレゼントした。

彼にもやった。

今になればそれが遺像に?なった。

忘れられない東京での出会いのひと時だった。

電話をして来たのは一治君だ。

「明日の命はわからない」という俺に彼は「あと10年」と言った。

俺は「今何をなすべきか」友人たちと語りたいと彼に伝え、

「俺が学生時代に老荘思想に興味があったことを覚えているか、と言うと、

彼も俺から老荘の本をもらっていたので、もちろん覚えていた。

「俺は今司馬遷に夢中」と、関係のないことをなぜか彼に。

ちょうど中国ドラマ「隋唐演義」を見ている時の電話だった。

少年の時、「月光仮面」や「ジャガーの眼」「怪傑ハリマオ」に夢中だった以上に、

夢中で中国ドラマを見ているので、つい「司馬遷」と言ったのだろう。

最後の時を「司馬遷」を考えている俺が今ここにいた。

大学時代に授業で「史記」を原典で読まされた日々を思い浮かべながら。