眼の人、耳の人

谷崎潤一郎は耳の人だと「春琴抄」を解説しながら島田雅彦さんが語る。

三島由紀夫は眼の人だと。

俺はと思った。

8時間テレビを見ている時は眼の人だ。

それから朝までYOUTUBEを聞くときは耳の人だ。

人生をふりかえってみると、俺の生活は視聴覚教育だった。

テレビとラジオが好きだった。

高校の勉強はテレビとラジオで学んだ。

中国語もそうだった。

学生時代新宿末廣亭に通った。

寄席は見るところだった。

落語レコードも買い込んだ。

志ん生はレコードだけで好きになった。

高校時代日本史の教科書を全部テープに吹き込んだ。

それを聞きながら寝る前に日本史を勉強した。

三国志」「水滸伝」は耳で完全に理解しようとしている。

DVDでもその中国ドラマは持っている。

中国語も聞きとれるようになりたいと思っている。

眼を使っているときはすっかり疲れる。

寝床でのYOUTUBEの時間が始まる、息抜きでもある。

ときどき真剣に耳を傾けている。

眼の人なのか、耳の人なのか。

美人は目でみる。

しかし見た事もない耳で想像する美人もいる。

NHK深夜放送の村上里和さんなどは耳で恋した女性だ。

京劇は何度も劇場で見たが、耳が心地よかった。

中国語に惹かれた一番の理由は京劇の音声に心が打たれたのでは。

耳だけで好きな歌手も思い出した。

台湾の女性歌手姚蘇蓉は耳だけでしか知らない。

俺は俺の声が大嫌いだ。

俺は中国語も日本語も教えた。

最悪だったのでは。

俺はカラオケも歌う、沖縄民謡、中国台湾の歌、懐メロ、軍歌、寮歌。

友人たちよすまなかった。

君たちの耳を汚したことを。