岳飛死す

岳飛が死ぬ場面を見る予定だった。

最終回と思って見たドラマはまだ2回分残していた。

まだ岳飛は死んではいなかった。

岳飛 1103年3月24日~1142年1月27日

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岳飛伝をドラマで見たのは3回目になる。まだまだ岳飛がどんな人だったか理解しているわけではない。

1981年杭州西湖ほとりにある岳王廟に行った記憶がある。

そこに岳飛父子の墓があり、その墓前に岳飛を罪に陥れた秦檜夫婦の銅像があった。

岳王廟に来た中国人たちがその秦檜像を打擲したり唾を吐きかける光景を見た。

そのころ、岳飛についての何の知識もなかった俺は漠然とその光景を見た事を思い出す。

今、岳飛伝を見て、今度行ったらちゃんと岳飛の墓碑にお参りをしたい。

岳飛伝のドラマを見ながら、吉田松陰西郷隆盛の無念の死について考えた。

安政の大獄で死んだ吉田松陰の事を悔しく思っていた俺の青春時代、井伊直弼への怒りは尋常ではなかった。

しかし今、井伊直弼への怒りはない。井伊直弼を評価している俺がいる。

正義への思いも時代によって、年齢でかわるものかもしれない。

西郷さんのライバルであった大久保利通は今でも好きにはなれないが。

81年の杭州西湖、俺のロマンチックがあった遊覧船の旅でもあった。

そのロマンチックは当時の8ミリカメラで撮影をして、DVDにダビングして持っている。友人の秀純君にはそのDVDを見せたが覚えているだろうか。

ビデオのなかった時代の映像が、今になれば宝物でもある。