学生時代にも阿部定事件は何度か語られていた。
友人たちと。
いつも笑いの中に阿部定は語られていた。
昔昔、阿部定がまだ生きているという事を知った。
テレビで阿部定の当時の姿が映ったことがあった。
俺は見た記憶がある。
その後、彼女が橋を歩いている姿が何度かテレビで映された。
阿部定さんの誕生日を調べると、1905年生まれだった。
祖母が1906年生まれだったので同時代人だったのだ。
たぶんさきほどまで見ていた淡谷のり子も同じころにはずである。
阿部定の悩みや悲しみについて語らなかった自分たちの会話の稚拙さ。
今になってみれば、阿部定は真面目に語れる対象であり女性だったと思う。
菊池章子の♪星の流れにを聞いた。
その当時の新聞記事が出ていた。
♪こんなおんなに誰がした の記事には、戦後満州奉天から帰ってきた女性が、
上野駅で腹をすかして途方にくれていたと。
その女性におにぎりを一つ恵んでくれた男に、身を捧げるというお返しをした。と。
戦後生まれの俺でも昭和20年後半の女性の可哀そうな姿は思い浮かべることができる。
菊池章子さんに合田さんは訊いたそうだ「こんな女に誰がしたのですかと」
菊池章子さん「戦争」とこたえた。
戦争のない平和な時代にしたいという言葉はあふれている。
どうしたら戦争のない世界になるかという話などすることはほとんどない。
歴史を語らない風潮が寂しい。俺は放浪の旅で、戦争を語り続けている人たちの話を聞いた。
沖縄でも韓国でも、台湾、シンガポール、中国でも。
社会主義の中国の怖さだけが語られているが、中国で教えた経験もある俺には、
中国では老若男女が戦争を語り続けていることを知っている。
尖閣諸島問題、何を語れば、どう見ればいいのか。
友人たちと語り合ってみたいが、誰も語らないだろう。
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