1957年5月8日生
「率直なスポークスマン」角川誕生日事典
かたせ梨乃名前は聞いたことがあったが、どんな人かは想像できなかった。
寅さん映画で見たと言う記憶はあった。
かたせ梨乃さんを引き立ててくれた人を探した。
日本テレビの当時はディレクターで11PMのカバーガールに引き立ててくれた人。
神戸さんというその人は80歳になって登場した。
欽ちゃんの仮想大賞の仕事を最初からやっている人だった。
かたせ梨乃さんが出演した寅さん映画を検索した。
1994年12月23日公開の「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」だった。
11PM は1965年から1990年。
俺が11PMをよく見たのは東京時代、昭和42年から46年まで。
当時のMCを思い出した。
女性出演者は朝丘雪路や松岡きっこさんを覚えている。
かたせ梨乃さんに興味を持った。
まずは彼女が出演した寅さん映画を見てみよう。
いつものことながら、俺はその人の時代に気付いていなかった。
何もかも後手後手だ。かたせ梨乃さんの探す人を訪ねたのはジョー秋山?
彼が「自分が知っている以前のかたせ梨乃さんを知りたい」と言った言葉が気になった。
俺たちの生きて来た時代、経験したことは、ある意味ではその人たちの大事な時を知っているということになる。
ということが、
それは今も現在進行中ということだろう。
そのあと、芸人の別府ちゃんがあこがれの女性を探した。
赤嶺美里という女性だった。
その名前を聞いて、沖縄女性だと思った。
テレビでは詳しい紹介はなかったが、今日読んだ本「沖縄の証言」に、
終戦前に沖縄の小学生が九州各地に疎開をしたという記事を見た。
宮崎、大分、熊本にたくさんの小学生が疎開していた。
赤嶺さんはその疎開していた沖縄の小学生につながっているのではと。
こころあたたまる、別府ちゃんのマドンナ探しだった。