ブラタモリを見ながら、自分の生活して来た街のことを考えた。
熊本県八代市で俺は生れた。4年後、鹿児島市に住むことになった。
親父の転勤のためだった。幼稚園から高校まで鹿児島で生活をした。
高校を卒業して、東京で4年間過ごした。そして卒業後沖縄那覇に飛び込んだ。
それは本当は徳島県鳴門市に住む予定だったのをやめての那覇行きだった。
大塚製薬に就職が決まっていたのを、やめた。
数年の間、大塚製薬に行っておればよかったと思った。
沖縄に行ってからの市数年間はアルバイト人生に近かった。
学生時代にバイトをしたことが、俺の考え方を変えていた。
寅さんのように仕事はいつでもあるという感覚を持っていたのだ。
それが教師志望を貫こうと言う気持ちになり、教師になるまでの寄り道仕事を続けた結果になった。
さて沖縄までの自分をここに書いたが、ブラタモリを見ながら俺が思ったことは、
自分が勤めた学校の転勤が自分にもたらした転変とした地方生活の事だった。
今、日置市に住んでいる。そこで家を求め、30年以上そこに住むことになった。
勤務先は鹿児島だった。その勤務先が日置市に変ったのだ。そして転勤生活、
宮崎に4年、鹿児島に戻り4年、えびの市に6年、また日置に帰り、まさかの中国へ。
長春で4年間過ごした。そして60歳で定年、日置の住まいにやっと定着、12年経った。
一番組を見ながらの一生の旅回顧、まるで邯鄲の夢物語のような話。
木村多江さん、この番組で初めて知った人だ。
自分の知識の貧困なこと、日暮れて道遠し。
悲しくもある。