那覇を旅している気分で、
今宵も過ごす。
今日のMCは島袋千恵美さんとよなは徹さん。
こいのぼりの話で始まった。
民謡で今日拝なびら 4月16日 旧暦3月5日 午の日
CDの音源は流せないとよなは徹さん。
1曲目は嘉手苅林昌さんの♪いちゅび小 音声はでてこない。
放浪の唱者嘉手苅林昌さん、いまは息子の嘉手苅林次さんが後を引き継いでいる。
今朝は朝から川平朝申さんが気になった。
50年前にその風貌を新聞社内で見たことを、その人が有名な人だと教えてくれたのは
文化事業局の山根盛一さんだった。
俺の沖縄タイムス時代、一番語り合ったひとだった。
今になれば、貴重な時間だった。
一瞬の出会いが、その後50年間も思い出させてくれう喜び。
2曲目は照屋林助さんの♪さたんならん呉屋主、
テルリンと愛唱された照屋林助さん、沖縄の喜劇人だった。
コザの住人、お笑い芸人のゴリの伯父さんだ。
この人の芸は竹中労の本でも知っていたが、小沢昭一さんはこの人の芸を
沖縄放浪芸のレコードに収録していた。
この数日は毎夜この番組を見て聞いている。
いつしか、こんなことがあったという思いでになるのだろう。
「運命の悪戯」という言葉を娘に教えた。映画タイトルを日本語に表現すればという
「日本人のおなまえ」の一場面だった。
ふと運命の悪戯を思い出した。
沖縄を去ってから30年経ったころ、通信大学の学習会で沖縄に行った。
そして泊まったホテルに見た事がある女性がフロント係をしていた。
ホテル従業員の人に、その女性の名前あを確認したら、やはり知っている人だった。
友人の妹さんだった。俺の沖縄滞在の時はいつもその家族の家に寄せてもらっていた。挨拶するかどうか迷った末の挨拶をした。
運命の悪戯だと思った。
この後♪ハワイ節 ♪ションカネ節 よなは徹さんの生歌♪あやかり節がある。
その歌は生歌なので音声がある。俺は歌に合わせて踊る。
俺の踊りはまんざらでもない、10年の沖縄舞踊のネンキがあるのだ。
俺は人に見せられるものはあまりないが、相撲と沖縄舞踊カチャーシーは、
見る人は俺を見直すだろう。
踊りには、自画自賛で言えば、まんざらでもない。
琉歌をよなは徹さんが三味線を弾きながら歌っている。
思い出せば昭和48年、俺は博多の下宿屋で軍歌や沖縄民謡を聞きながら、
酒を飲んでいたことを、その後勢いに乗り、九州大学箱崎の黄門男前にあった
お好み焼き屋に飲みに行っていたな、さらに気分がのれば隣りのスナックにも行っていた。毎夜1時間この番組を見ている。
これが続けばこの番組のMCは彼らは気付かないだろうが、俺はなじみの人になっている。ここに書き込むことも独り言、独り合点。
コロナの時代を生き抜く俺の独り言、これもまた令和の思い出になることだろう。