フォレスタが歌う♪神田川
昭和48年が気になった。
俺が♪神田川を知ったのは昭和49年だった。
台湾で知り合った日本人留学生吉明さんが、ギター弾き語りでよく歌っていた。
俺が新宿戸塚町面影橋近くに住んでいたと伝えると、彼はその歌を教えてくれた。
北海道出身の彼は俺より1歳年上だった。法政大学を卒業して、正規の留学手続きをして台湾に来た人だった。1年浪人していたので、菅総理などを知っていたのでは、と今思う。
♪神田川の歌詞は俺の学生生活と一部ダブっていた。
彼と台北のはずれ北河南街、この名称は正確ではないが、萬華からバスで行く場所だった。そこに俺はやがてシェアして生活することになった。
意気揚々とサラリーマンを辞めて台湾に飛び込んで行った俺は、最初はホテルを月ぎめで借りていたが、金銭的に不安があったのだろう、台北の学生下宿に移り、最後に彼のマンション?にころがりこんだ。
♪神田川の歌は、東京面影橋時代よりも台北時代を思い出す歌になっている。
面影橋時代の友人、秀輝君ここを見ていますか。
君の知らなかった俺にはこんなエピソードもあったのですよ。