わかなつの那覇

民謡で今日拝なびら 5月14日 沖縄の暦 4月2日酉の日

MC 島袋千恵美・前川守賢さん

4月からずっと聞き続けている

第1曲目♪多幸山 あっちゃめ小 沖縄自由踊りカチャーシーの定番曲、

音声が出れば俺も踊るのだが、

松田弘一さんと嘉手苅林次さんの歌 嘉手苅林次さんは嘉手苅林昌の息子さん。

若夏の那覇、沖縄の初夏の事だが、今は梅雨入り、

沖縄の梅雨は記憶がはっきりしない。

1971年、沖縄復帰の前の年、俺は那覇にいた。

そして友人の家で大相撲夏場所を見ていた。

大鵬貴ノ花に敗れて引退したのもこの時だったような気がする。

上原直彦の「話半学」も今日はある。

民謡で今日拝なびら 一昨日聞いたのは上原直彦さんと北島角子さんのMC、

2015年7月1日のこの番組、

上原直彦さんが亡くなった人の噂供養をすることを語っている。

俺も今日は高校の柔道部顧問の奥さんが亡くなったことを隆明君から聞いた。

そして先生が新婚の時に、先生宅に遊びに行ったことを思い出したりしていた。

上原直彦さんは先日亡くなった宮古島民謡の大家国吉源次さんの話をしている。

俺はこの番組で話題になる沖縄民謡の先駆者たちのことはよくわかる。

1971年頃、俺の生活は沖縄民謡漬けだった。

50年前だから沖縄民謡の大家たちも現役だった。

国吉源次さんとのエピソードを語る上原直彦さん。

俺は今日の昼、この番組の琉球放送に電話をした。

スタジオ見学ができますか?と、できないというこたえだったが、

琉球放送の担当者と電話で語ったことが嬉しかった。

高校時代の友人からの柔道部顧問夫人の亡くなったという知らせも、それが供養になっているのだろう。高校時代の部活合宿練習の茶話会の時、先生が♪柔を歌われたことなども思い出している。

俺は隆明君との電話で叔父の供養をしている最中に叔父から電話が来たという話などをかれとしたが、それも供養だったのだろう。

テレビは消した。YOUTUBEの香の番組だけを見ている。

俺の新しい友達が、この番組のMCの人たちだ。

50年前から知っていたのは上原直彦さんだけ。

50年前の沖縄の友人と逢ってカラオケに行けば、びっくりするかもしれない。

俺の精神の中に沖縄が50年生き続けていたことに。

この番組の前に見ていたのは、中国ドラマ、清朝康熙帝の時代にタイムスリップして入り込んだ現代女性の物語だった。

俺のここの書き込みもタイムスリップかもしれない、

ただ過去を書き連ねているだけだから。

YOUTUBEでは、1960年の台北、戦前の満州の映像も見て楽しんでいる。

戦前のチャイナメロディーも時には聞いている。

李香蘭も聞いているのだ。

さてこの番組に集中してみよう。