武田鉄矢の昭和は輝いていた

8月13日放送

日本のこころ懐かしの音頭

音頭にその町のプライドが出る

ゲスト 金沢明子刑部芳則

オリンピック閉会式で歌われた東京音頭

思い出して見れば、昭和42年東京に初めて行った時の俺の持ち歌は

♪東京行進曲と東京音頭だった

東京音頭は替え歌をよく歌った。

同期会の時だったか、その替え歌を秀純君が歌ったときは、苦笑いしたことがあった。

炭坑節を日本橋きみ瑩さんが歌っている。日本橋きみ栄さんとは気付かなかった。

昭和40年頃、新宿末廣亭日本橋きみ栄さんを見て、彼女のレコードを買った。

今も持っている。

炭坑節こそ俺の最初の出会い曲だったかもしれない。

熊本県八代市で昭和23年に生まれた俺に炭坑節のメロディーはよくはいってきていた。

祖母が大牟田出身とも関係があるのか。叔父さん達が歌っていたのか。

俺が野崎詣りを踊ったということを祖父母はよく言っていた。

親父の出張について行った子どもの頃だ、熊本県水俣だった。

そこで親父が踊りながらチョイナチョイナを歌った。その光景は今でも覚えている。

芸者さん達もいた。子供心に親父が芸者さんたちと踊る姿は愉快ではなかった。

草津節、草津音頭?だろう。