奈良本辰也

1913年12月11日~2001年3月22日

「こうと決めたら一直線」角川誕生日事典

吉田松陰研究は奈良本辰也先生だった。

岩波新書吉田松陰を書かれていた。

テレビでは先生を拝見することがよくあった。

好きな大学教授だった。

立命館大学の先生をしておられた。

直接習ったことはないが、私の恩師の一人である。

中国語は誰にならったか、テレビ講座藤堂明保先生。

先生も恩師だ。沖縄学は竹中労さん、この人も恩師。

落語は小沢昭一さん、その落語研究会の顧問暉峻康隆先生、

先生には芭蕉をならった。恩師だ。

中国関係の学者で、奥野信太郎慶応大学教授がいた。

私の蔵書に奥野信太郎全集がある、大阪の古本屋で購入した。

俺が死ぬときは棺桶に入れてもらいたい書物である。

この長春有情に先生の文章を書き写していたこともあった。

俺の師匠はテレビ出演者。

俺がテレビに夢中になるのもしかたがない。

今日のブラタモリタモリさんがテレビを語っていた。

録画しているので、ちらっと見ただけだったが、先輩ライバル?はタモリさん、タモリさんは師匠と云うより、自分の前を走り続けている先輩ライバル、ライバルというのは恥ずかしいのだが、うしろから追っかけている人だ。