惚れた

友人たちに聞いてみたい

惚れた

俺は何に惚れたと思うか

友人たちは言うだろう

「お前は惚れっぽいから、何に惚れたかわからない」と。

昨夜突然思いついた俺の惚れたもの。

73年経っていろいろ惚れたが、結局これにといえば。

「北京語」だったと思った。

一昨日は夜中ずっと中国の舞台劇魯迅の「阿Q正伝」を寝ていた。

その北京語の美しかったこと。1971年台北で京劇を見た。その時、俺は北京語に一目ぼれをしたということを思い出した。

昨夜は中国の講談「三国演義」を聞きながら寝た。

それでだったのか、今朝は放送大学の中国語の講義を見た。

俺の言葉はあまりよくはない。

その俺が、外国語や日本語を教えてきたのだが、大人だった日本語学校に学生たちはそうとう不満があっただろう。中国語を教えた生徒には、中国語の美しさを教えることはできなかった。

60歳になって教えるという仕事をやめた。ほっとした。

教える人間ではなかったのではないか?

吉田松陰に憧れていたので、教師という道を選んだが、松陰先生は、

君が教えるのか?と嘆息していただろう。

60歳からは北京語も沖縄語も落語も学生として学んでいる。

スッキリできる。スッキリなっている。

お金をもらわないでいいことが。

60歳で学生になれたことが嬉しい。

どこの学生ですか?我が家大学、楓下村塾だ。