鉄は熱いうちに打て

高校時代勉強はしなかった。

読書はした。

スポーツもした。

高校時代、日本史の教科書は勉強した。

日本史は「歴史読本」という雑誌で学んだ。

テレビの大河ドラマを親父は見ていた。

ビデオがなかった時代だったが、一部のテレビ番組をテープレコーダーで録音した。オープンテープの時代だ。

録音機に頼るようになってから、あとで見ようという気持ちになった。

ビデオテープで録りだめたテープを捨てた。1万本近くはあっただろう。ビデオテープが安くなってからは100本単位で購入していた。

その時買った新品の10本セットのビデオテープもまだ持っていた。

DVD、ブルーレイになってからは50枚セットぐらいで買った。

録画して見たつもりになっていた。

今日も中国ドラマを見た。もちろん日本語ではわかる。

中国語字幕と日本語字幕が併記しているのがCCTV中国ドラマ。

その中国語字幕を見て、絶望の思いにかられれいる。

中国語字幕はだいたいの意味は分かるが、その言葉を発声することはできない。それが絶望感になっている。

鉄は熱いうちに打て、先生たちの言葉にもう少し素直であったなら、

もう少しはましな老人になっていただろうと。

英語にも打ち込んだことがあるのだが、英語への関心は続かなかった。アメリカに行こうとしていた時期があった。野末陳平アメリカ大陸占い旅行の旅を書いていたのを読んでの勉強だった。

占い学校に通った。占いの基礎は学んだ。占いをしながらアメリカの旅、あきらめた時に英語の勉強もやめた。

しかし台湾では中国語と日本語をちゃんぽんにして占いをしたことはあったが、お金はもらわなかった。

占いでお金を取ったのは、通信教育で通った大学の学園祭の時実行した。お客が50人以上並んだ。

専門学校の教師をした時、学園祭で占いをした。200円ぐらいで占ったが、お客さんが多かったことにほかの職員は驚いていた。

そういえば今朝の夢は、その専門学校で仕事をしていた夢だった。

鉄は熱いうちに打てはダメだったが、菅原文太が最後に言った言葉。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」。それで行こうと思う。