タモリさんの石垣島、俺の知っている石垣島とは大きく変わっただろう。
俺は俺が旅した1970年12月の石垣島を思いだそうとしながらテレビ画面を見た。
沖縄に初めて行ったのが1970年1月だった。
卒業論文の資料集めという旅だったが資料には巡り合わなかった。
卒業の前年だった。卒業論文はすでに決めていたのだろう。
沖縄女性史を沖縄の歌の中から調べようとしていたのだろう。
竹富島で沖縄民謡安里屋ユンタのヒロインの生まれ屋跡に行くのが目的だったかもしれない。俺は21歳だっただろう。石垣島の美しさに感動して、竹富島に行ったときには、感動の極まりだった。竹富島で土地を買って住まおうと思った。一坪25セント、90円というので、100ドル持参していたので100坪売ってくださいと、民宿のご主人にお願いしたら、「家を造ればただでいい」と言われた。俺は民宿でもしてこの島に住もうかとも思った。
旅に導かれたのは一冊の本だった。検索して調べると1970年にその本は発行されていた。森村桂の『森村桂沖縄へ行く』という本だった。
そんなことを思いだしながらこの番組を見ていた。見終わって次週予告。
つまり1月22日のブラタモリが竹富島だった。そこだ、俺の青春の魂をゆすぶったのは。翌年俺は大学を卒業した。就職は決まっていた。大塚製薬だった。
当時給料10万円、ボーナス100万円と言われていた。
俺は1月にその就職を辞退することにして沖縄行きを決めた。今思えば、俺を沖縄に行かせたのは竹富島だっだのでは。人生レースはその時にストレートではなくなった。
でこぼこ道になったのだが、来週の竹富島ブラタモリ、友人たちよぜひ見てください。
俺があの時、沖縄にいざなわれたかをブラタモリで君たちも考えてください。
俺をでこぼこ道に誘った犯人、影の人、恋人、竹富島を見てください。
そして笑ってください。バカだったなあと。