人形町末広の思い出

「生きているうちに聞いておくべきだ」と言って亡き枝雀や亡くなったばかりの志ん朝を語っているので、その頃の噺なのだろう。小三治の噺はまだ終わらない。初めて志ん朝と出会ったときの話をしている。談志との話を聞きたいとおもっているが、まだ談志の話には至っていない。志ん朝とイタリアに行った話をしている。その話を聞きながら、俺も友人たちと旅をしたことを思い浮かべた。中国江南の旅を高校の同期生たちとやった。20年以上前だった。小三治が語る、志ん朝がドイツ語が上手だったと。そういえば志ん朝は独協高校を出ていたのでは。友人たちとの中国江南の旅はビデオ撮影をしていた。友人たちと会えば、その旅の話をすることがまだまだあるだろう。

秀純君と北京の旅をした。定年になってからだった。彼が俺と行きたいということで実施した。60歳を過ぎての北京盧溝橋、北京原人の周口店の旅、行ってよかった。

博昭君とは香港、深圳の旅をした。江南の旅もした。東京同期会では東京の友人や鹿児島の友人たちとはとバスにも乗った、小三治はオランダの旅を語っている。

人形町の話で水天宮が出てきた。水天宮、定年になってからだっただろうか、知り合いの社長さんに水天宮近くのホテルのランチバイキングに招待された。有名ホテルだが名前が出てこない。このホテルのランチバイキングが一番豪華だった。娘二人も連れての招待だった。パークホテルか?そして思い出したのは豪華バイキング。台北駅前のヒルトンホテルのランチバイキング、あれも豪華だった。小三治は語っている「志ん朝さんイ負けない人に・・」そして小三治の長い話は終わった。6時10分だ。