夜中に向田邦子のエッセイを聞いた。
銀座文明堂の前での妄想だった
どら焼きを1万円分ぐらい買おうと思ったと。
そしてその外側のカステレの部分を二枚剥いで、
銀座の街のショーウインドにぺたぺたと貼って行ったら
という話だった。
オリンピックの何年後かと言っていたので、
1971年頃かと思った。
俺がバイトをした新宿文明堂の話ではなかった。
新宿文明堂のどら焼きより、一回り大きかったような気がする。
そして起きてから思った。
ひょっとしたら俺が小田急の文明堂でアルバイトしているころ、
来たこともあったのではと、何か向田邦子に似た女性を、今頃になって見たような気がする。
向田邦子の幻は、俺には時々浮かんでくることはある。
向田邦子の旧宅があった平之町の俺の出た幼稚園の前を通ったとき、ちらっと向田邦子旧宅跡を見る。一瞬小学校5年生の向田邦子が、そして山下小学校の前をとおるときも、向田邦子が見える。わが住まいはその小学校から100mだった。小学校と同じ道路に面していた。歩いている小学生に向田邦子が重なることがある。嘘ではないのだ。
いつも向田邦子が忍び寄ってくる。先日はプールで昭和4年生まれのおばあちゃんと語った。向田邦子と同級生ですねと。昨日もプールでの知り合いの人、昭和8年生から電話があった。
骨折をして、今プールに行っていないという電話だったが、その人とは向田邦子の文学をよく語っていた。今朝も、ここに向田邦子のことを書き込んでいる。なぜそんなに、
俺と同じ誕生日の人なのだ、向田邦子は。俺はここに角川誕生日事典の誕生日占いのことをよく書き込んでいる。誕生日を知ることは、俺には大事なこと、オリンピック選手も誕生日が気になる。ニュースで話題になった人も誕生日が。今日はサンロイヤルホテルに食事に行く、そこには俺と生年月日が同じ人が駐車場で働いている。今日は彼に聞いてみようか、向田邦子を知っているかと。