立ち合い

若元春対千代翔馬の相撲を解説する尾車親方

立ち合いがいかに大事かと、

「立ち合いをしなければ、最初から四つに組んでやればいい」

という話を聞きながら、沖縄相撲を思い出した。

1971年沖縄の波の上祭りの、全島沖縄相撲大会に飛び入りをした。

各島代表の選手たちは、ほとんどが現役の警察官だった。

俺は鹿児島出身と紹介され、その相撲に臨んだ。

初めての沖縄相撲だった。相当いい試合をした。

俺は負けたが、見に来ていた友人たちにはほめられた。

高校時代県大会団体戦で3位だった。当時の鹿児島の高校は全国でも強豪だった。

その時、インターハイで優勝したのが鹿児島実業だったと思う。

沖縄角力大会に出たときの俺は東京での学生生活を終えたばかりの新人?だった。

飯もろくろく食っていなかった。負け惜しみかもしれないが、高校時代なら勝ったと思うような試合だった。それから51年、今日の俺は右膝が痛くて、よぼよぼ歩いている。

駅を歩いてきたが、ガラスに映る自分は、哀れな姿だった。歩かなければ、73歳ではあるが髪は黒髪でふさふさしている。体も高校時代より少し太ってはいるが、水泳で鍛えているので、俺が若い時に見ていた73歳のじいさんではない。

歩く姿だけ。

尾車親方の一言でこんなことを想いだした。