老後の夢

どんな老後を送るか?

若い時から考えていた。

膨大なビデオテープに録画した。

本も家1軒ぐらいのお金を使った。

しかしビデオテープは見らずに捨てた。

本も半分以上は捨てた。

若い時の思った老後と、実際にやってきた老後は違っていたのだ。

想像もしていなかったことが、YOUTUBEだった。

こんな世界は想像もできなかった。

さて老後の夢に、寄席に通いたいということもあった。落語のレコードも買い集めていた。古今亭志ん生は数十枚持っている。

中国では中国映画、京劇、漫才のCD、DVDを数百枚購入した。

沖縄のレコードも数十枚ある。

落語を聞いて沖縄民謡を聞く、中国の京劇・映画を見て、中国漫才を聞く。

それが夢だったのだ。夢は思っていたよりも思いがけないものを生んでくれたが。

今朝は中国漫才を明け方聞いた。だいぶわかった。1981年、北京で茶館に通って漫才を見た。その時、ここに通えるような人生を送りたいと想像はした。テレビで中国放送を見ることができるようになった。青春時代に沖縄に飛び込んだ。沖縄で一番気に入ったのはラジオの郷土放送だった。そのラジオを今YOUTUBEで見ることができる。

どう考えても夢のような生活ができているのだ。ここにこんなことを書き込んでおれば、誰もが生活にゆとりがあるだろうと思うかもしれない。すべてカードで生活をしている。今月分の請求書が昨日送ってきた。年金では支払い不能の額だった。株を少し売らなければならない。株が全部無くなったときに、俺の経済生活は終わる。

そんな不安は抱えているが、俺の考え方が、超楽天的でもある。

収入はないのだが、俺は収入があったつもりという考え方が身についているのだ。

例えば落語や芸能を見た時は、入場料を払ったつもりという計算をする。

毎月10万円は払ったつもり、家で生活していることは、ホテルに泊まったという考え。

1泊6000円、月に18万円払ったつもり。それはすべてもらったつもり。

そんな考えがあるので無収入でも楽天的になれるのだが、俺の周りの家族はかわいそうかもしれない。しかし、今3人で生活をしているが、皆それぞれの収入を毎月全部つかっているようだ。まさに明日がないという生活。もし俺が金を持っていると、家族が勘違いしていたら、俺が死んだときに唖然とするだろう。文無しだから。

しかし俺にもささやかな夢がある。飛行機事故で死んだ場合は、保険金が2億円はいってくる。カード会社が俺の旅行保険は旅行の度にしぜんとかかっているからだ。

孝行することが夢ならば、飛行機事故死しか俺にはないが、ずっと続けていることが、ロト6と、ロト7購入。これが当たれば俺も俺なりの成功者になると思う。

これが超楽天家と自称するわけだ。4月1日の朝から、テレビもつけずにこんなことをかいてしまった。