テレビ版『男はつらいよ』

昨夜は遅くまで見た。

山田洋二監督とさくら役を演じた長山藍子さんが、

当時のことを寅さんを思い出しながら語った。

ドラマの第1回と最終回が放映された。

第1回は1968年10月3日、最終回は1969年3月27日だった。

その時に見たという確信はないが、見たであろうと思ってはいる。

渥美清にまだ興味は持っていなかった時期だったような気がする。

最終回の寅さんが奄美大島でハブにかまれて死ぬ場面は、ずっと伝え聞いていた。

その後、「男はつらいよ」が映画になった。

これもしっかりした記憶ではないが、その映画に俺を連れて行ってくれたのが、隆明君だったとこれははっきり覚えている。映画の入場料まで払ってくれた。新宿の映画館で超満員の中、立ち席で見た。俺に渥美清という俳優に導いてくれたのはやはり彼だったと思いながら、ここに書き込んでいる。

テレビ初演が昭和43年10月、その年の2月に親父が亡くなった。その10月ごろは京王線仙川の栄太郎あめ工場でアルバイトをしていた。最終回の昭和44年3月27日、俺は新宿小田急デパートの文明堂でアルバイトを始めた頃のはずだ。

昨夜テレビを見ながら、自分の恋についても思い出していた。栄太郎あめで従業員の千枝子さんに恋をして、告白してふられた。千枝子さんには婚約者がいると、本人とデイトをしたとき?彼女に告げられた。よく雪の降った年だった。アルバイトの高校生と俺を好きだと言う女の子と千歳烏山の寿司屋で酒を飲んだこともあった。自分の恋を語りたかったのかもしれない。当時俺は20歳だったのだろうか、女性に告白したのは初めてだった。そして最終回が3月27日、その1週間後に俺は栄太郎あめの上司の家に、遊びに行った。そこで妹がいて、妹の手料理のごちそうになり、妹に自分の片思いの恋を語った。泥酔した。語るとき、ずっと話を聞いてくれたその人千草さんに心をとられていた。ここに何度も書き込んだ昭和44年4月4日のことだ。

その後、小田急デパートでアルバイトを続け、次の恋愛が始まった。こんどは青森の女性だった。ひろ子さん、初めてつきあった女性になった。その恋も、この年の誕生日プレゼントはもらったが、お返しの彼女へのプレゼントをするまえに別れた。翌年のことだ。1970年、俺はその恋を忘れるために沖縄経由で鹿児島に帰ろうとした。

初めての沖縄旅、そこでまた。