俺は5年生だったのだろうか。
その日のことは覚えているが、5年生か6年生かははっきりしない。
当時鹿児島市高見馬場二官橋通りに住んでいた。
鹿児島市の交通の中心線だ。高見馬場から谷山までの電車通りが続いている。
町名は西千石町、江戸時代千石取りの薩摩藩上級武士が住んでいたことから、
千石町という町名がついたようだ。
すぐ近くには下級武士が住んでいた加治屋町があった。西郷誕生地、大山巌、東郷平八郎の誕生地もある街。母校高校のある町である。
母の食堂の向かい側に旅館があった。
千代乃や旅館といった。
その旅館でテレビを見たのが、昭和34年4月10日だった。
皇太子殿下と正田美智子さんのご結婚のパレードを、そこで見た。
たぶん母がテレビを購入したのはこの年の年末だったかもしれない。
このご成婚パレードを見たことが動機だったかもしれない。
母の食堂のすぐ近くに東芝の鹿児島支店があった。
そこの社員は母の食堂で食事をしていた。
母が買ったテレビは東芝だった。
12月31日だったような気がする。紅白歌合戦を見たのが、テレビの最初の番組だったような。同級生の義徳君の家でテレビを買ったのがその日だった。母はかねてから言っていた。「義徳君の家でテレビを買ったら、うちでも買う」と。
義徳君の買ったテレビはゼネラルテレビ、同級生の信一君の店で購入された。
信一君とは俺も3年、4年の時に同級生だったので、別の店で買ったことで、気が引けていたことを思い出す。
さて、その昭和34年から63年の月日が経った。