3年1組

1966年4月そのクラスは始まった。

1967年3月卒業した。

昨日はそのクラスの同級生が5人集まった。

武憲君の豪邸に。

私はプールを終えて、そこで彼を待った。

約束通り、10時半に彼は娘さんとやって来た。

入会手続きをしにきたとのことだった。

彼を助手席に乗せ、彼の家に行った。

名古屋から来ている純次君はすでに来ていた。

タクシーの運転手をしていたA君も来ていた。

すぐ隆明君がきた。

今日のメンバー5人が揃った。純次君とA君は缶ビール。

隆明君は車で来たので酸素水、俺も1本600円の酸素水?水素水?を飲んだ。

高校時代を語った。同級生の女性たちの話で盛り上がった。

A君は後悔していた、高校時代女性と付き合っていればよかったと。

俺は片っ端から片思いをしていた。見たら好きになっていた。噺をしたことはんかったが、片思いをした人の名前を憶えていたことが、話題提供に役に立った。武憲君は、今日来ていない友人たちにも電話をしていた。母校中学校の校長を務めた茂一君とも電話で語った。双子の孫が生まれて、福岡にいるとのことを彼は喜んでいた。

中学校時代の美人秀才の女性にも彼は電話をした。その女性とは大学受験の時に、寝台列車で俺も一緒になった人だった。1967年、55年前のその光景を俺も覚えていた。

当時、武憲君と雅子さんが語るそのそばで、美人だなと思っていた18歳の自分を思い出した。生徒会活動で隆明君は彼女と一緒に中学時代は活躍していた。彼は寡黙なので、その時の感想はあまり語らなかった。私は沖縄ラジオの生放送があるので、2時に引き上げた。彼らはそのまま飲み、語り続けたようだった。隆明君は5時ごろ帰宅したと、電話でわかった。思いがけなくもミニクラス会になった。昨日朝、私が見た、担任の夢。担任にも聞こえたかもしれない。担任は日本史の公雄先生だった。