早いものだ
あれから50年経った
1970年俺は初めて沖縄に旅した
なぜあの時沖縄に行ったのだろうか
それをしっかり記憶していたら面白かっただろう
それは私の人生を変えた
1970年1月沖縄へ その年は何度か沖縄旅をした。
そして迷っていた卒業論文のタイトルが決まった。
その頃、卒業論文について何をテーマにしようか、
考えていたことは記憶がある。
「老荘思想」「落語」「芭蕉」などを考えていたような気がする。
それが1970年、「沖縄女性史」に決めていた。それも沖縄の歌に描かれた「沖縄女性の生活とこころ」というタイトルに最終的には決まり、それを書き上げて卒業し、
徳島の大塚製薬に決まっていた就職を棒に振り、沖縄に翔入った。
それがよかったのかどうか。
その沖縄から初めての外国旅行台湾に行った。
それが自分の職業につながり、60歳の定年は、中国長春の高校教師で終えた。
現在73歳、今の趣味は毎日沖縄のラジオ番組をYOUTUBEで生放送、沖縄民謡を聞きながらコメントを投稿している。中国テレビ、「CCTV中国文芸」を毎日見ている。
中国の芸能番組だ。銀河テレビの中国ドラマを毎日見ている。
昨夜もYOUTUBEで落語を聞いた。
そんな芸能生活に追っかけまわされている。
「忙しい忙しい」と口に出している。
何が?「テレビを見ることが忙しいのだ」と答えると、
みな大笑いする。
明後日は東京に行く、第1日は新宿末広亭に行こうかとも思っている。
高校の後輩が真打披露をしている。春風亭柳若師匠。それか、直接荻窪の温泉センターに行くかもしれない。歩くのがつらいからだが。
2日目は両国泊まりだ。大相撲5月場所を見に行くか、国技館の前で相撲取りの出待ちをするか、未定。3日目は羽田泊。いちばん行きたいのは大学なのだが、上手なスケジュールが決まっていない。大学では昔食べていた大学界隈の食堂で食事、演劇博物館見学。そんな旅を計画しているが、なぜ旅に出るか?所有していた航空券をキャンセルするのがもったいないからだった。
来週はあわただしい日々になるようだ。
沖縄復帰50周年は、自宅で見ることになるのだが、ここに書き込みたかったことは、
1972年5月15日の沖縄復帰よりも1971年の復帰前の沖縄が、恋しい懐かしいということをかきたかったのだ。
支離滅裂、横道散歩の俺は、思いつくままにいろいろ横道を書き込んでしまった。