52年まえのことだが、覚えていることもある。
一つの理由は失恋したことも関係があったかもしれない。
鹿児島には寝台列車でいつも帰っていた。
同じ交通手段での鹿児島東京の往復だった。
1970年、沖縄経由で帰ってみようかと、突然思ったような気がする。
東京~沖縄~鹿児島のルートを思いついたのだった。
沖縄に行くのにパスポートがいる時代。
失恋の気持ちを整理するには南国沖縄が、と思ったのだろう。
雪のちらちら降っている晴海ふ頭から、東京丸に乗った。
大きな船だった。
旅行ガイドは持っていなかった。
ホテルはどうするのか、言葉は、何の知識もなかった。
しかし船内で出会いがあった。
大学生とその叔父さんと偶然沖縄の話をしたのだろう。
その叔父さんが、「お前の家に泊めてやれ」と言ってくれた。
彼はすぐさま「いいですよ」と答えてくれて、彼の家に泊まることになった。
沖縄糸満の人で、その叔父さんの甥だった。彼の父親の妹が、その叔父さんの妻。
そして俺の沖縄旅の不安の一つは消えた。
今、思い出せばドルの交換はどうしたのだろうか、どこでかえたのだろうか。
那覇港には叔父さんの甥が迎えに来ていた。
小禄の叔父さんの姉さんの家に立ち寄った。
家族の人が多かったのに驚いていた。
しかし一番驚いたことは、晴海で雪が降っていたのに、沖縄は暖かかった。
俺は学生服だったような気がする。
その小禄の家でそこの娘さんが「いつ鹿児島に帰るのか」と訊いてきた。
俺は「9日ごろ」と答えると、「同じ日だね」と彼女が言った。
彼女は鹿児島経由で東京に帰る予定だったそうだ。
そして沖縄の南の街、糸満に行って、家族の歓待を受けた。
まさかこんな歓待を受けるとは、沖縄での最初の感動だった。
しかし心には、東京での失恋のことは、まだ心にあった。
数日、沖縄生活を経験して、帰るときに港でその女性と出逢った。
二等船室で隣り合わせで寝た。何か親しくなったような気がした。
鹿児島に到着した時、その人を実家に泊めてやった。
沖縄でされたことを俺も真似たのだった。
続きは・・・・・・