脱腸の手術を決心してから1か月以上たった。
やっと手術日が決まり、入院日も決定した。
しかしこの1か月間、しっかりとテレビ学習はした。
今でも俺の根本思想は老荘思想だ。
60歳の時俺は司馬遷の人生を考えた。司馬遷のように生きようと思った。
学問というより、人間をテレビや放送で見まくり知りまくりという考え方になり、
徹子の部屋などもひとを知ることが目的で見ている。ある意味では誰も彼もだがその人間関係に何らかのつながりを見つけようtもしている。
どんな生き方をしてきたか、一言で言えば、「逢いたい人に会う」ということだった。
何のためにお金をつかって来たか70歳になって考えると人に会うためだったと言い切れる。東京時代に金はなくても寄席通いをした。それも人をもとめてであっただろう、
大学を卒業してから沖縄に渡り、台湾に行き、中国で最後の定年前の生活を送ったということも今になれば人間を知りたい、人を見たいと言うことだっただろう。56歳からの中国旧満州の長春での4年間、俺は寄席に通った。東北地方の二人転という芸能に夢中になった。ついに手術を決心したのはもう一度プールに帰りたいからだ。無事手術がおわったら、高校の同窓会に参加して自分の姿を人に見せたいと思っている。俺が同窓会に行くつもりで頑張るというと、同窓会の幹事も務めると言う博昭君は喜んでくれた。
同総会で先輩後輩先生たちに逢いたいのだ。