52年前、俺は石垣島に居た

ブラタモリ 石垣島サンゴ礁石垣島をどう育てた?~

タモリさんの石垣島、俺の知っている石垣島とは大きく変わっただろう。

今日のブラタモリでは新しい石垣島の街をみたわけではない。

俺は俺が旅した1970年12月の石垣島を思いだそうとしながらテレビ画面を見た。

沖縄に初めて行ったのが1970年1月だった。

その年の暮れには石垣島から竹富島を旅していた。

卒業論文の資料集めという旅だったが資料には巡り合わなかった。

卒業の前年だった。卒業論文はすでに決めていたのだろう。

沖縄女性史を沖縄の歌の中から調べようとしていたのだろう。

竹富島で沖縄民謡安里屋ユンタのヒロインの生まれ屋跡に行くのが目的だったかもしれない。俺は21歳だっただろう。石垣島の美しさに感動して、竹富島に行ったときには、感動の極まりだった。竹富島で土地を買って住まおうと思った。一坪25セント、90円というので、100ドル持参していたので100坪売ってくださいと、民宿のご主人にお願いしたら、「家を造ればただでいい」と言われた。俺は民宿でもしてこの島に住もうかとも思った。

旅に導かれたのは一冊の本だった。検索して調べると1970年にその本は発行されていた。森村桂の『森村桂沖縄へ行く』という本だった。

そんなことを思いだしながらこの番組を見ていた。見終わって次週予告。

つまり1月22日のブラタモリ竹富島だった。そこだ、俺の青春の魂をゆすぶったのは。翌年俺は大学を卒業した。就職は決まっていた。大塚製薬だった。

当時給料10万円、ボーナス100万円と言われていた。

俺は1月にその就職を辞退することにして沖縄行きを決めた。今思えば、俺を沖縄に行かせたのは竹富島だっだのでは。人生レースはその時にストレートではなくなった。

でこぼこ道になったのだが、来週の竹富島ブラタモリ、友人たちよぜひ見てください。

俺があの時、沖縄にいざなわれたかをブラタモリで君たちも考えてください。

俺をでこぼこ道に誘った犯人、影の人、恋人、竹富島を見てください。

そして笑ってください。バカだったなあと。

 

豊昇龍が勝った

本番は同体で取り直し

そして正代は敗れた

正代が敗れたのか

モンゴルが勝ったのか

俺にはモンゴル勢の力がひしひしと感じられる

中国ドラマを見ている

漢民族はモンゴルの怖さを知っている

元寇

俺は福岡筥崎宮の近くに住んでいた

元寇の話はよく聞いた

元寇に抵抗するのは

阿炎だ

阿炎が負ければ

元寇

まさか俺が生きているうちに大相撲界の半数以上を

モンゴル勢が占めるのではないだろうな

画面に集中する

阿炎が照ノ富士を破った

とりあえず最初の元寇は防いだ

二度目の元寇は明日の御嶽海戦だ

御嶽海は勝ったが

足に痛みが出たような様子だ

明日照ノ富士に勝てば大関に推薦されるかもしれないが

結びの一番阿炎と照ノ富士

楽しみにしている

俺は阿炎のファンのような気がしている

少年の時の栃錦若乃花という大好きな人が誰かは自分でもわからないが

阿炎に一番どきどきする