【聖徳太子】広辞苑

用明天皇の皇子。母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。本名は厩戸(うまやど)皇子。豊聰耳(とよとみみ)皇子・法大王・上宮太子(うえのみやのみこ)とも称される。内外の学問に通じ、深く仏教に帰依、推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、冠位十二階・憲法十七条を制定、遣隋使を派遣、また仏教興隆に力を尽し、多くの寺院を建立、「三経義疏(さんきょうきしょ)を著すと伝える。(574~623)

 

角川誕生日事典「自由を求める理想主義者」

574・2・7~622・4・8