乱看・乱聴

学生時代乱読をしていた。

本を読みまくった時代があった。

精読は好きだったが、乱読をせずにおれない時代があった。

大学時代も乱読だったのだが、しばしば友人たちの我が家宿泊で中断された。

大学時代の思い出の一つが読書を中断されたということにもなる。

その後、乱読のくせは弱まったかもしれない。

テレビを見続けたのが退職した60歳からだった。録画ビデオを見まくった。そして大量の未看のビデオテープを捨てた。73歳ごろからラジコに出会った。これは録音も何も不要だ。スマホに1週間分は記録されている。それをただ聞きまくるだけだが、これが面白いのだ。女性パーソナリテイの語りを盗み聞きしている心境だ。沖縄民謡もあり、熊本弁鹿児島弁、宮崎弁、ラジコはいくら聞いても疲れない。時間が欲しいだけだ。睡眠時間が不足していることを心配はするが、昼のうとうと居眠りで補っているかもしれない。鹿児島から世界を、熊本から世界を眺めている。沖縄の旅宮崎の旅をラジコで楽しんでいるのだ。無知だった経済学の知識もラジオ日経で学んでいる。自分の中で何かが刈って行くような気がしている。これも進歩だと信じてこの方法を続けている。