庭が消えた

昭和63年4月、今の家に住んだ。

庭に夢を描いた。

垣根は山茶花、隣との境には躑躅を植えた。もう一方には金木犀を植えた。もみじと桜を植えた。もみじが主だったが、1500円で購入した桜がやがて我が家の主木の地位を占めた。

すばらしい桜を毎年咲かせてくれていた。

しかし桜の落葉が道路に落ちるので、掃除をする妻が不満を持っていた。

昨日はシルバー人材の人たちに剪定をしてもらった。

何もかも打ち切った。入居した時のように丸裸になった。

残ったのはもみじだけ。真赤なもみじが大木になって、庭にどーんと座っている。

昨日我が家を見た人は垣根も切られただ紅葉のもみじが1本、

寂しくはなったがもみじが引き立っている。

楓下村塾と名づけていた我が家、ホンモノの楓下村塾になったかもしれない。家族はそんな名前は知らない。

俺一人、松下村塾吉田松陰先生に、私も楓下村塾をつくっていたのですと。