19歳の向田邦子

正月2日に見た夢が初夢だそうだ。

今朝は何か教訓的な夢を見た。

兄妹や友達がいたようだったが、思い出せなかった。

そんなときにYOUTUBE向田邦子NHK深夜便の放送があった。

亡くなる前年昭和55年12月29日放送直木賞をもらったときの森本毅郎、山根基代さんのインタビュー。聞きながら、向田邦子でいいや。と思った。

初夢の代理が。ぼんやりした初夢は蓮れたが、亡き向田邦子さんの生のお声を聴いたことで。そして19歳の向田邦子さんを想像していた。昭和4年生まれの向田邦子さん、19歳の向田邦子さんの誕生日は昭和23年11月28日。向田邦子さんの作品を見れば、どこかにその日の記事があるかもしれない。インタビューを聞きながらそんなことまで思っていた。向田邦子は母より2歳年下だ。21歳の母親の11月28日、そのとき向田邦子さんは。想像しながら興味が増してきた。その日、俺が九州熊本県の八代で生まれたのだが、向田邦子さんにその日の・・・・

インタビューをしていた山根基代さんとは、2010年か11年に直接お会いして、語ったことがあった。初めて大学同期会に参加した。その同期会で山根基代さんのことに触れたら同期会の連中が山根さんを2次会に呼んでいて、そこで山根さんと語った。

またこのNHKの放送は最近のNHKの深夜便での放送だったようだが、そこにゲストとして出演していたのは歴史家の保坂正康さんだった。そんなご縁も感じながらの、向田邦子さんの生の声。1981年台湾で亡くなった時の向田邦子さん。最後の一夜の上海ともダブっている。俺が最後の一夜を送っての上海空港で聞いた椋田邦子さんの乗った飛行機の墜落事故。今朝正月2日、文脈も何も考えず向田邦子さんという文字をここに書き連ねている。初夢ははっきりしていたのだが、はっきり思い出せない。

初夢は向田邦子、今年はそれで行こう。小学校の先輩だから。幼稚園のウラに住んでいたから。山下小学校、三育幼稚園。もし向田邦子さんが、もう少し鹿児島に住んでいたらたぶん、彼女の家から歩いても遠くない鹿児島一高女に進学していただろう。

その一高女の跡地にあるのが、我らの母校高校なのだが。