1972年5月15日

【ちむどんどん】第26回

いよいよ沖縄復帰の日になった。

暢子は東京に来た。

俺はその前年は那覇に居たが、復帰の日は鹿児島にいただろう。

大学生になっていたはずだ。

聴講生になり教員免許取得にましっぐらだったかもしれない。

友人の雅彦君も一緒に通っていた。

彼が大学の授業でみごとな意見発表をしたときのことを思い出している。

その雅彦君も亡くなった。

1972年、50年前か。