老舎茶館

北京前門外にある寄席、

その寄席気分をしばらく味わう。

材料は4月20日から23日までの「CCTV中国文芸」のDVD。

録画を続けているので録画できる容量は満杯。

見ながら消さなければならない。

タイトルは経典対唱・時光唱片

1981年に初めて北京に行ったときは、寄席の入場料は安かった。

バス代より少し高いぐらいだった。

北京の庶民たちで寄席は溢れていた。

北京の浅草、天橋の寄席には満員バスで通った。

バスの満員がつらかったが、今になれば通っていてよかった。

今の老舎茶館などは昔の寄席風景というより、国立小劇場みたいな雰囲気だ。

我が家寄席は、庭の青々とした木々にちらりと目をやりながら、

65インチの大画面で見ているので、特等席で見ている気分になる。

頻尿で何度も席を立つ俺だが、我が家寄席ではそんな心配もいらぬ。

中国・香港・台湾の一流芸人、今流行の歌手の唄も聞くことができる。

今日も9時半になれば、鹿児島の一流ホテルでのランチバイキングに出発。

贅沢贅沢、金が無くても味わえる贅沢。

負け惜しみ、負け犬の遠吠え。

それでも俺は経験したのだ。

中国漫才の大御所、候宝林、京劇の梅葆玖、梅蘭芳の息子、

中国東北芸能二人転の名優趙本山、すべて生芸能を堪能して来た。

映画監督の謝晋さんとは対談までした。

画面には二人転の有名タレント潘長江が出ている。

関口宏のもう一度!近現代史

3月27日「昭和14年 ノモンハン事件独ソ不可侵条約

4月3日「昭和14年第二次世界大戦 勃発」

4月10日「昭和14年、価格統制令・米内光正内閣成立」

4月17日「昭和15年 ドイツ軍がフランスに総攻撃・命のビザ」

4月24日「昭和15年、日独伊三国同盟 締結」

5月1日「昭和15年(1940)紀元二千六百年式典」

コロナ禍での我が家劇場

朝は中国ドラマを見た。

上海の大馬路の大光明映画館のような気持。

午後は中国芸能を見た。

北京の前門外の老舎茶館での茶菓子を食べながらの芸能鑑賞。

台湾の流行歌も見た。台北の西門町の第一大歌廰で、テレサテンを見た時の心境。

夜は沖縄ラジオ那覇の沖映劇場で見た沖縄芝居の世界。

このあと、ベッドでYOUTUBEだ。

落語や講談を聞くが、三国志朗読も講談を聞く気持になる。

落語は新宿末廣亭、講談は本牧亭で聞いている気分を味わう。

ベッドは中国の旅をした時のホテルに泊まった気持になれば、

日芸能鑑賞の生活をしていることになる。

これが定年後の夢だった。

コロナ禍で実現しなかったこと、北京を上海、長春台北武漢を。

那覇を歩けないということだけ。

何もかも満たされると人生は終わりだそうだ。

満たされぬ思いが、さらなる未来に心をつないでいくのだろう。

岸惠子

1932年8月11日生 88歳

「事実をどこまでも追及する人」角川誕生日事典

徹子の部屋岸惠子さんだったことを、ホテルで新聞を読むとき気付いた。

録画してくればよかったと思ったが後の祭り。

ホテルランチバイキングを終えて駐車場へ、歩いてプールへ30分。

たまたま携帯テレビが5チャンネルで岸惠子さん出演だった。

歩いて30分、全部聞くことができた。88歳の岸惠子さんを見ることはできなかったが、声は十分聞くことができた。

日経新聞私の履歴書は今月は吉行和子さん。

これも楽しみで読んでいる。今朝のここの記事に岸惠子さんのことがあったような気がする。

子供の時、「君の名は」をラジオで聞いた覚えもある。

小津安二郎の映画で見た岸惠子さんの美しかったこと。

5月も沖縄

5月3日(月)旧暦3月22日

民謡で今日拝なびら MC前川守賢・座喜味米子さん

4月はずっと沖縄デイーだった。

起きている時はこの番組で仕上げて、睡眠の時間になっていた。

曲目リストはすでにわかっている。

1曲目は♪南国育ち 2曲目は♪物知り節 3曲目は♪ちんぬくじゅうしぃ

1970年1月が沖縄デビューだった。

その時糸満の盛忠君の妹がこの歌のレコードをお土産にくれた。

じゅうしぃはお粥の事。

今日も65インチテレビではNHK9時のニュースを映像だけ映している。

生意気なことを言うと、映像だけで何を言っているのかわかるのだ。

すでにインターネットで見ているニュース。

鹿児島はコロナは今日は45人、今日もサンロイヤルホテルで食事をしたが、

県民はコロナ騒動でびびっているのか、そう多くはなかった。

ニュースは聞き飽きるが、沖縄の民謡スタジオは飽きない。

舞踊家の座喜味米子さん、歌手の前川守賢さんを何回見てもあきない。

一期一会と思ってYOUTUBEの映像を見ているのだ。

いつの日か、俺が逢いたちと思っている沖縄の人に、映像を通してか、

実際にか会うことができると思っている。

昨夜は思いがけなくも50年前の台湾の友人の消息がわかった。

ふしぎなのである。

もう一つ付け加えると、今朝の夢は元上司の女性校長が登場した。

俺は何か仕事の報告をしていたが、その報告を我ながら茶化していた。

元上司の・・・博昭君の知っている人だ。

聖火リレーの話をしている。座喜味米子さん。

俺も具志堅さんやゴリさんが出場しているのを見た。

ゴリさんは沖縄の笑芸人、テルリンの甥子さんだ。

子供の時のゴールデンウイークを覚えているかと座喜味米子さんが聞くと、

ゲンちゃんは与那原テックの話をしている。

アイジョージさんがそこに来たと言う話を前川守賢さんが語っている。

与那原テックを語るMCの二人。

俺が行った昭和46年はそんなものはなかったような気がする。

昭和50年、海洋博の沖縄はおもしろかったが、当時は台湾慕情の時代だったので、

海の向こうに台湾があることを想像して海を眺めていた。

当時俺は長髪にしていた。岸部四郎に似ていると言われて、飲みに行くと、

「シローさん、シローさんと」呼ばれていた。

学生時代はマヒナスターズだったか、和田弘と言われていた。

その後、慶応大学出身のあの作曲家の名前を言われたが、出てこない。

「時間ですよ」に出ていたあの役者だ。

少年時代に隣りの高校生のお姉さんが「津川雅彦に似ている」と行った時に、

少し喜んだことを覚えている。

中学時代はクラスの女生徒に新克利に似ているといわれたなあ。

高校のクラスハンサムが多かった。

武憲君は赤木圭一郎に憧れ、待夫君は高倉健小林旭鶴田浩二の時代だった。

ゴールデンウイークは毎日サンロイヤルホテルで食事をする予定。

4日も5日もそこで食べる。

それが俺のゴールデンウイークの旅になる。