ジャズピアニストの北村英治さんが、
「沖縄公演で一夜漬けで聞いたジャズを歌った」ときのことを語る。
1956年8月11月に公演
1958年9月にも公演している。
翌年には台湾で公演。
「美空雲雀哀愁音調出色的歌星」アンバサダーホテル 共演林与一
20元(邦貨160円)だった。
台北で知り合った日本人商社マン夫人の家でそのレコードを聞いた。
美空ひばりに開眼した。
法政大学の卒業生吉明さんとマンションをシェアして住んだ。
彼に訊いた「美空ひばりの歌い方が嫌いだった」と。
彼は言った「あれが美空ひばりの魅力だ。あの歌い方が誰でもできないのだ」と。
そのマンションの御主人水道工事会社を経営していた。
蔡さんという人だった。
台北の有名な舞庁に招待してくださった。
キャバレーのようなところだった。
日本人商社マン夫人久美子さんが美空ひばりを歌った。
「お祭りマンボ」だった。
感激した。美空ひばりの大ファンになった瞬間だった。
1975年2月のことだ。