水鏡先生 湖北省襄陽市

住居は襄陽の南漳だった。

60歳になってから襄陽には5回以上行ったような気がする。

襄陽を起点として、三国志の関連土地を廻った。車で連れて行ってくれた義弟も2年前に亡くなった。作曲家の義弟はその市の市民歌を作曲していた。彼が他にも連れて行くと言っていたのだが、今思えばその時だったということ。人生はすべてその時、今なのだ。

襄陽の旅もコロナでこの2年間行っていない。コロナが終わったら、義弟の墓参りに行くつもりだ。