野口雨情 ♪船頭小唄

野口雨情 1882年5月29日~1945年1月27日

「組織の運命を左右する人」角川誕生日事典

高校2年の担任が倫理社会を教えてくださった。

1965年4月から1966年3月まで

その先生の倫理社会の授業で、先生は脱線した。

森繫久彌主演の映画「雨情」に感動した話をされた。

俺は感動した。野口雨情にあこがれた。1967年俺は大学の文学部に入った。

日本史を勉強するぐらいの気持ちではあったが、こころのどこかに、流行歌の作詞者になりたいという気もあったような気がする。紅白歌合戦のゲスト席に俺が座っている姿を想像したこともあった。高校3年生の時は♪東京行進曲を好きになっていた。

東京に行ったとき、最初に口ずさんだ歌が”♪昔恋しい銀座の柳だったか♪人生劇場かどちらともだったか。文学部の講座に西條八十さんがいた。俺は興奮した。しかしなぜその時西條八十さんの講座を取らなかったかは、今は記憶はない。

流行歌の作詞者にはとうとうならなかった。

73歳の俺の今の生活は中国ドラマと歌を聞いているのが主といってもいい。

中国歌謡曲を聞き、沖縄ラジオで沖縄民謡を聞き、懐メロを聞く。

今も「武田鉄矢昭和は輝いていた」を見ている。このあとは中国文芸、中国芸能を見る。4時からは沖縄のラジオ番組を生放送で見る。73歳だ。ある意味では死を目前にしている、その男が選んだ最後の時、そんなことが大事だと思って時間を過ごすことになった。武田鉄矢さんから学ぶことが多い、タモリさんからも。

芸人、すごい人たちだ。沖縄の芸人、台湾中国の芸人からも、残された短い人生を学ぼうとしている。2022年1月25日の俺のささやきだ。