1970年12月、俺は土地を100坪売ってくださいと、
民宿のご主人に頼んだ。
ご主人は「ただでいいですよ」と言われ、
「条件は家を作って住むこと」と。
一坪25セント、90円だった。100坪で9000円。
その言葉のやり取りははっきり覚えている。
もしあの時俺が竹富島に住んだら、やはり挫折していただろう。
と今は思う。
俺は共同体で生きるのが苦手なのだ。
共同作業などもさぼるほうだったので、すぐ村八分になるか、
逃げるしかなかっただろう。
52年前、卒業論文を書こうとしていた浅学菲才の俺に、民宿のご主人上勢頭昇さんは、
俺の本質はすぐ見抜いておられただろう。岡部伊都子さんのことをしっかり話された上勢頭さん、岡部さんの書かれた本は俺も読んだ。独身を通された人だったが、好きな人はおられたようだった。戦場に散っていかれたその男性のことも岡部さんの本には書かれていた。運命?不思議な縁について考えている。友人たちとの!