石垣島から竹富島へ

この数日、石垣島のことを考えていた。

石垣島出身の沖縄民謡歌手の歌声に一目ぼれをしたのだ。

昨日だったかもしれない。

そしてこんな録画番組に出会った。

石垣島に行ったのは、50年前だった。

映像に映る石垣島は観光地になっていた。

俺が石垣島に行ったときは、海の碧さはすばらしかったが、全くの田舎だった。すぐ近くの竹富j真に行く目的の石垣島の旅だったような気がする。益子直美さんは石垣島から船で竹富島へやってきた。

沖縄は大観光地になった。

俺が竹富島に行ったときは、一坪25セントといわれた。俺は財布に入っていた。100ドルで、土地を購入しようとした。民宿の御主人はここに住めば土地をやるといわれた。その時竹富島に住んだら民宿経営をしていたかもしれない。今になれば、50年前を見てよかったということだけ。もう歩けなくなってしまった。60歳になってから、将来歩け続けるように頑張って歩きまくった。その結果が歩けなくなったのだ。想像の旅しかできない、映像の旅しかできそうでない。残念と思うより、あの時歩いていてよかったという思い。

竹富島のお寺喜宝院というお寺博物館を見学する益子さん。

俺はそのお寺で住職さんと酒を飲んだのだ。たぶんその時お会いした娘さんが益子さんを案内している。上勢頭同子さん。この人のお父さん、叔父さんとそこを訪問したのだ。昭和22年生まれの上勢頭同子さん、俺より1歳姉さんだ。あの日俺は家族の人たちと語ったことも覚えている。1970年12月20日前後の日だ。コザ事件の日だったので日にちを覚えている。逢ったという記憶しかない人が画面に映っている。不思議な気持ちになっている。俺が泊まった民宿も出てきそうだ。たけとみ民芸館を訪問する益子さん。ここはあの民宿だったのではとの疑問が案内するのは島仲由美子さん。俺よりずっと若い人だろう。画面に集中しよう。ミンサー織、安里屋ユンタ。俺は卒業論文の資料を求めての旅だった。