1948年生まれの明治大学中退の経歴を持つこの落語家は。
落語家になる前寄席通いをしていたと言う。
前座名金原亭駒七 俺はその名前に記憶がある。
当時俺が一番関心があった噺家が彼の師匠金原亭馬生だった。その人の弟子だと名前でわかったので、前座時代に噺は聞いていただろうが、名前と前座としての寄席での所作は幽かに記憶があるようだ。師匠も手にしなかった人間国宝にこの噺家はなっている。人間国宝の噺家といえば柳家小さん、柳家小三治さんもそうだったと思う。しかし五街道雲助さんの最近の噺は聞いていないのでどんな噺家かはまだイメージにはない。
奇しくも今朝志ん生の落語を聞いたあとにこの人をラジオで聞いたことが嬉しかった。