世界ふれあい街歩き

華の都、パリの秘密 サンティエ界隈とパッシー

12月12日

1967年大学入学時に第二外国語はフランス語だった。

有名な臼井善隆教授にならった。ロシアのチェーホフの小説だった。

結局フランス語はなじめなかった。入学手続きには親父が行ったので、親父がフランス語を選択したのだった。しかし臼井教授の授業を受けたことは意味があっただろうと思う。ドイツ語も少し勉強したが、結局独学した中国語だけ少しものになった。