64年ぶりに語った

一言二言を

また考えている

一言二言ではあったが

1962年その人が転校していった

その日以来の語りになった

しっかり思いを伝えたわけではなかった

事務的に同窓会の日時会場を告げただけだったが

「どなたですか」と訊かれたときに、

自分の名前、バレー部だったこと、高見馬場で母が食堂をしていたことを

告げた時に、告白した心境になっていた。

同窓会に参加するときには電話をくださいと電話番号を教えた。

もう1回と期待している自分の声なき声も感じてはいる。

そして同じクラスだった友人たちをも思い出している。

とくに彼女に興味を持っていた同じ西千石町の友人清治君のことを思い出すが、

彼の消息は不明。昨日は昔のゼンリンの戸別地図で、彼の親が経営していたクリーニング店の場所は確認した。こんな話を最近プールで知り合ったばかりの85歳の老人に機能も語った。なき秀純君がおればかれにこのことを何度も語ったであろう。このあとのハプニングは彼女が同窓会に来るかどうか?そしてありえないと思うが、俺がファミリーヒストリーに登場した時に偶然見るかどうか?

楽しみでもある。昨日はその小学校を卒業してラサール中に進学した友人たちを検索したら一人ヒットした。K君、秀才だったが地質学者になっていた。